サービス残業も後を絶ちません。
長時間労働とサービス残業。
このブラック企業の代名詞のような現象を、自民公明政府は合法化しようとしています。
彼らのねらいはただひとつ。
「(大企業にとって)美しい日本」
まずは、政府と財界のねらいをいま一度明らかにしておきましょう。現在、政府は「新しい労働時間制度」を検討中です。
労働者の賃金を、労働時間ではなく、労働の成果で決めようという内容です。
つまり、どんなに長い時間働かされても、成果が出ないと認定されれば、残業代が出ないのです。
「残業代ゼロ法」「過労死促進法」と言われるのはこの理由からです。
過去にもこの法案を出しましたが、世論の反発が強く、頓挫していました。
そこで、今回は、「対象者は年収1075万円以上」と対象を少なくする方向で検討していると伝えられています。
そう聞くと、「自分には関係ない」と思うかもしれません。
しかし、この法案の恐ろしさは、ほとんどの人が気づいているでしょう。
経団連は年収400万円以下を対象にと主張していた
経団連は2005年に「ホワイトカラーエグゼンプション制度」(=残業代ゼロ制度)の対象を400万円以上と主張していました。それを受けて、第一次安倍内閣では、年収900万円以上としていました。年収がいくらという線引きは、いつでも変えることができます。経団連が次に引き下げを要求することは目に見えています。派遣法を見れば小さく産んで大きく育てるのは明らか
「派遣切り」で人を人として扱わない姿をさらした大企業は記憶に新しいところです。労働者派遣はそもそも労働基準法で原則禁止されている中間搾取そのものです。しかし、その例外として労働者派遣法が作られ、対象労働者はどんどんと広げられていきました。その歴史を知っていれば、「小さく産んで大きく育てる」というのが彼らのやり口だということは明白です。成果と残業代ゼロは無関係
そもそも、財界は「労働時間ではなく成果で評価されたい労働者もいる」と主張して、「新しい労働時間制度」の導入を主張します。そんな労働者、どこにいるんだ!
このつっこみをすると負けらしいですが、「成果を正しく評価してほしい」と思うことはあることです。ですが、残業代をゼロにして良いということとは無関係です。
基本的に、使用者がもうかると思ったから、労働者を使っているのです。労働者が勝手に判断しているのではありません。仕事をさせた責任は使用者にあるのです。もうからなかったら、その責任は労働者ではなく、経営者が取るべきものです。
財界はこう主張するのです。使用者の管理をほとんど受けないような労働者の仕事があるからと。しかし、それは程度問題です。掃除をしろ、機械の点検をしろ。レバーをおろせ。いちいち毎日指示を受ける人はいません。ルーチンワークなのですから。いくら使用者の管理をほとんど受けない仕事があったとしても、新しい仕事を始めるときの指示、緊急時に受ける指示は絶対にあるのです。
成果を出したら、それを特別手当として支給しましょう。
残業したら、残業代として支給しましょう。
成果を正しく評価してくれる上司なら、この提案に反対する労働者がいるでしょうか。反対しませんね。成果で評価しなければいけないから、残業代をゼロにする理由は一つもないのです。
どんなにカネをもらっても過労死の危険はある
こういうと大変雑な言い方ですが、どんなふうに高く評価されても、過労死するときは過労死します。厚生労働省が過労死認定基準を定めています。月80時間以上の残業はレッドラインです。日本には、残業時間の上限を法律的に縛っていません。過労死という最悪な結果を生み出さないためには、法律的に縛るべきでしょう。
しかし、財界はこういいます。
それは労使の話し合いで決めるべきだ。
意訳すれば、「話し合いで決めたのだから、過労死しても自己責任だ。わかるよな?」ですね。
こんな財界が、いくら「成果で評価しますよ~。労働者にとっていい制度ですよ~」と宣伝したところで、信用できるわけがないのです。
ブラック企業批判をかわすための残業代ゼロ法提出か
ブラック企業が世間から批判され、さすがの政府も対策を打ち出さなくてはならなくなっています。サービス残業や長時間労働への指導強化、ハローワーク求人の制限などです。しかし、当たり前と言えば当たり前ですが、政府の対策は、違法を取り締まるというもの。その法律のラインを下げてしまえば、指導や規制そのものができなくなるのです。残業代ゼロ法案は、まさに長時間労働を野放しにするもので、ブラック企業合法化法案とも言えます。残業代ゼロ法案が成立することで、ブラック企業がグレー企業になったのではたまったものではありません。